adidas by Raf Simonsアディダスバイラフシモンズ
Designer:Raf Simons(ラフ・シモンズ)
1995年、ラフ シモンズが自身の名を冠したブランド「ラフ シモンズ」を発表。
ベルギー、フランスを拠点とするのファッションブランド。主にメンズウェアを展開。トラッドでクラッシックなテーラードスタイルと、反抗的な若者文化からインスピレーションをうけて、両者を融合させた、テーラードとユースカルチャーの融合がデザインの特徴。
創業者のラフ シモンズは1968年、ベルギーのニールペルト郊外のゲンクで生まれる。大学は工業デザイン学校に入学し写真やビデオ等を学ぶ。ファッションにおける正規の教育は受けていない。学生時代に研修でウォルター・ヴァン・べイレンドンクのアントワープオフィスで働いたことがきっかけで、ファッションに興味を持つ。
大学卒業後、家具のギャラリーで2年間働き、インテリアデザイナーとして活躍するが、しだいにファッションへ興味が向かい、独学で服作りを学ぶ。ラフシモンズ本人はマルタン マルジェラのコレクションを見てファッションの仕事をしようと決めたと言う。
自ら作った服を持ち、アントワープに移り、アントワープ王立美術アカデミーのファッション学科ディレクター、リンダ・ロッパに出会う。そこでファッションへの方向転換を決意。ラフシモンズ自身はアントワープ芸術アカデミーへの入学を希望したがリンダ・ロッパに「あなたはうちの学校で学ぶ必要がない」といわれ引き続き独学で服作りを学んでゆく。
リンダ・ロッパの後押しもあり1995年秋冬、ミラノの展示会でプレゼンテーション形式で自身のブランド「ラフ シモンズ」のコレクションを発表。その後3シーズンはパリの展示会で発表。
1997-1998年秋冬より、パリ メンズ プレタポルテ・コレクションに初参加。1999S/Sと1999-2000A/Wシーズン、イタリアの高級革製品メーカーのルッフォ社が展開するルッフォ リサーチのデザインを、ヴェロニク ブランキーノとともに担当。シモンズはこのコレクションでメンズを担当した。
その後、1999-2000年秋冬を最後に1シーズンコレクション活動を休止。2000年10月からウィーンの応用美術大学でファッションを教える。活動を休止した理由としては「自分自身のクリエーションにしっくりきていなかったのです。すこし考えたかった」「休養期間」「会社の内部構造を立て直す」ことなどが上げられている。
休養中にベルギーのメーカー「CIG」と協力体制を作り、2001-2002年秋冬コレクションからデザイングループを結成し再始動。このコレクションはアントワープの街中でスカウトした素人をモデルとして起用。何重にも重ね着をしたスタイルで復帰早々話題となる。
2003年11月29日、スイスのルツェルンで行われたコンテンポラリー・デザイナーコンクールでグランプリを受賞。2005年7月1日より、ジル・サンダーのメンズウェア及びレディースウェアのクリエイティブ・ディレクターを務める。
2008年、東京に世界初の旗艦店をオープン。その後大阪にも旗艦店をオープン(これらは後にクローズ)。同年、イーストパックとコラボレーションで「イーストパック・ラフシモンズ(EASTPAK RAF SIMONS)」を発表。2008A/Wシーズンより、フレッドペリーとコラボレーションライン「RAF SIMONS FRED PERRY Collaboration」を発表し、ポロシャツやカーディガンなどのコレクションを展開した。
2011年、「RAF BY RAF SIMONS」の展開が終了し、ブランド設立15周年を記念してスタートしたNEWレンジ「RAF SIMONS 1995」の展開をスタート。
2012年秋冬コレクションを最後にジル・サンダーのクリエイティブ・ディレクターを退任。同年、クリスチャン ディオールのアーティスティック・ディレクターに就任。
2013年、アディダスとラフ・シモンズがコラボレーションでのカプセルコレクション「アディダス バイ ラフ・シモンズ(adidas by Raf Simons)」を発表。
2015年、ディオールのアーティスティック・ディレクターを退任。
2016年8月2日、Calvin Klein(カルバン クライン)のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任。
2017年、CFDAファッションアワードで、ラフ・シモンズがウィメンズウェア部門とメンズウェア部門両方のデザイナー・オブ・ザ・イヤー賞を受賞した。